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無料で資料ダウンロード「宿は建てて終わりではなく、そこがむしろ出発点である」。温故知新の精神のもとに、地域を豊かにする宿のあり方を模索する株式会社温故知新。
同社が手掛ける初のブランドである「瀬戸内リトリート青凪」は、国内系ホテルで初のミシュラン最高評価を獲得しました。続く「壱岐リトリート海里村上」も同評価を獲得。その地域にある文脈を丁寧に読み解きつつ、人々を惹きつけるディスティネーションホテルとして成功を収めています。その後も「箱根リトリートföre」や「箱根リトリート villa 1/f」といったスモールラグジュアリーホテルを多数展開。
また、創業10周年を迎えた温故知新は、自社ホテルブランド“okcs(オックス)”を立ち上げ、建築家・石上純也が設計する洞窟のようなレストラン・House & Restaurant〈maison owl〉の開業も控えています。
創業者である松山知樹氏は、ボストンコンサルティンググループを経て、2005年より星野リゾートにて旅館再生事業の責任者へ。同社取締役を務めた後に、2011年温故知新を創業しました。
今回は、宿泊業界の第一線で活躍する松山知樹氏にお話を伺うことで、ディスティネーションホテルの裏側と、持続可能なホテル経営のあり方について明らかにしていきます。
──「瀬戸内リトリート青凪」や「壱岐リトリート海里村上」など、温故知新は人々を惹きつけるディスティネーションホテルを次々に生み出してきたかと思います。改めて、会社の沿革についてお伺いしてもよいでしょうか?
松山:温故知新は、ホテル旅館のプロデュースや運営委託、コンサルティングを行う企業です。2011年の2月にホテル旅館の運営会社として創業したのですが、その一ヶ月後に東日本大震災が発生。当初進める予定だったプロジェクトがなくなってしまい、震災復興事業を手がけるところからのスタートでした。復興事業を進めること3,4年。はじめて請け負ったホテル運営の案件が、いまの「瀬戸内リトリート青凪」です。そこから、「壱岐リトリート海里村上」、「箱根リトリートföre&villa 1/f」をはじめ、さまざまなホテル旅館を手掛けるようになりました。
──温故知新の創業に至った経緯はどのようなものでしょうか? 松山さんは星野リゾートにて旅館再生事業に関わられていましたよね。
そうですね。新卒でボストンコンサルティンググループに入社し、その後ご縁があって星野リゾートに入社しました。当時の星野リゾートは、ゴールドマンサックスとともに旅館再生事業をスタートしたタイミングだったものの、いまほどの知名度はありませんでした。そんな星野リゾートで、客室清掃の生産性向上の仕事から着手し、旅館再生事業の責任者になりました。そこでの業務が楽しく、宿泊業を一生続けていきたいと思ったのが、温故知新を創業したきっかけです。
──松山さんは、宿泊業のどんなところに惹かれていったのでしょう?
コンサル出身だったこともあり、事業の手触り感に惹かれました。清掃に関わる仕事をしていたときにも、現場にはさまざまな性格の人がいて、人間関係があって、リアリティを感じたんですよね。あと宿泊業は、飲食、建築、マーケティング、地域活性といったさまざまな分野の複合体なんです。事業としてさまざまな側面をもち、学ぶべきところも無数にあり、一生やっていても飽きないだろうと思いました。
──そんな松山さんが手掛けられた「瀬戸内リトリート青凪」はミシュラン最高評価である5レッドパビリオンを獲得するなど、華々しい実績を残されていると思います。「瀬戸内リトリート青凪」はどのような経緯で生まれたホテルなのでしょうか?
「瀬戸内リトリート青凪」も案件を請け負ったときには、採算性の合う物件だと思っていなかったんです。青凪は、前身は大王製紙さんがオーナーを務める遊休施設だったんです。美術館として運営はしていたのですが、使い道も見つからないからとりあえず作品を置いておこうといった位置づけの施設でした。取り壊そうかどうしようかというときに「ホテルにすることはできないか、コンサルという立場で関わってくれないか」と、相談が来たんです。
ただ、もともとはホテル用の物件ではなかったこともあり、普通のホテルだったら30-40室用意できる広さに、7部屋しかつくれない。それでも、水道費と光熱費は同じくらいかかる。不動産業界の常識からすると、明らかにセオリーから反しており、どう考えても採算が取れないんです。なので、案件を手がけようと手を挙げる会社もあまりなかったんです。
開業当初はかなり苦労して、タダ働きどころか赤字補填のためにマイナス働きでしたね。運営を継続するためにセフルクラウドファンディングのようなこともして……。
──そんななかでも、この案件を受けようと思ったきっかけはあるのでしょうか?
一番のきっかけは、この案件がコンサルティング会社から事業会社へと業態転換できるチャンスだったことです。コンサルから事業会社への転換ってそう簡単にできることではないので、これを逃したら一生コンサル会社のままかもしれないと思っていました。
それに、計算上では黒字になる事業計画はあったんです。なので、勝ち目のない戦いだとは思っていませんでした。むしろ、自分がやらなきゃ他の誰もできないだろうな、という自信はありましたね。
──その後、「瀬戸内リトリート青凪」は温故知新を代表するブランドの1つとなりましたよね。
そうですね。青凪がここまで大きなブランドになったのは、正直、戦略的なものではないんです。たまたま目の前にあったチャンスを掴んでいって、納得できるまでやりきった。その積み重ねによってブランドがより洗練されていったと思っています。
──事業計画という点について、ウェブサイト上の「数値計画は常に控えめ、慎重に誠実に作り、上方修正を是とします。」という文言がありますよね。強気な数字をつくる事業会社が多い中で、こういうメッセージを発信する会社は珍しい気がしました。
そうですね。青凪を運営からの学びもあり、事業計画というものは実現可能な範囲でつくるべきだと思っています。事業計画が低いからうちに頼まないとなれば、それでいいというスタンスです。
例えば、京都で安定して黒字化する事業計画をつくると、稼働率80%という数字をつくらなければなりません。それは持続的ではないと思うし、わたしたちが手を出す領域でもないと思っています。温故知新はコロナ禍によるインバウンドバブルの崩壊の影響をほとんど受けなかったのですが、そういう誠実な事業計画づくりが功を奏しているのだと思っています。
──経営のスキームとして「マルチブランドオペレーティングカンパニー」という手法をとっているのも、特徴的だと感じました。各物件ごとに所有するオーナーと運営が切り離されており、運営に関わる全従業員は全て温故知新に所属している。なぜこのようなスキームをとっているのでしょうか?
まず、オーナーと運営を切り分ける理由としては、シンプルに自分で投資するほどの体力がないというところになります。ただ、オーナーさんと共同体になることで、一定の規律は働くと思います。情や思いだけでプロジェクトが進むことはなくなりますし、より強固な事業計画が完成します。
全従業員を温故知新に所属させる理由としては、人事や教育制度などを共通化することで、ブランドとしてのコンセプトやクオリティを担保することにあります。ホテルは飲食店などに比べて商圏が広く、リピーターの獲得が困難なので、ブランドとして統一性を持たせ、銘柄買いされることが大切です。あとは、PRや総務やオーナーリレーションなどは現場ごとに置くよりも、本部に集約した方が効率化されるという点もありますね。
「箱根リトリートföre&villa 1/f」はこのスキームをとることで、オペレーションが格段に効率化しました。
──どれほどの効果があったのでしょう?
「箱根リトリートföre&villa 1/f」は、「箱根リトリートföre」と「箱根リトリートvilla 1/f」という2つのホテルが比較的広い土地に隣り合わせになっている施設です。温故知新の社員の半分はここの現場スタッフで、この施設は温故知新の基地のようになっていますね。社員はここを起点に全国各地に飛んでいく
この施設はファンドがもともと運営をしていたのですが、かなりの赤字になって持続不可能という状態だったんです。そこで、温故知新が運営を交代することになりました。結果として運営2ヶ月目で黒字に、初年度で2億の経営改善に成功したんです。今まで、離島に位置していたり、7部屋しかなかったりと経営的に難易度の高い物件ばかりを手掛けていたので、箱根でのホテル運営はそれと比較すると難しいものではありませんでした。この物件は、温故知新としても経営安定のきっかけになりました。
──温故知新のオペレーション力の高さに驚かれます。複数ブランドを手掛ける企業になると、経営層と現場との乖離が起こるという話をよく耳にするのですが、そこを経営スキームで改善しているのですね。
ただ、どんなに工夫しても経営と現場との乖離は起こるものです。そういったときに大切なのは、月並みな言葉ではあるものの「現場へのリスペクト」ですね。経営者の基本的な立ち位置としては、現場がいかに快適に働けるかを考えるところだと思っているので、運営の都合だけを押し付けないことが大切です。
──続いて、温故知新のこれからについても伺いたいです。競輪場に面した客室やレストランからレースを間近に観戦できる「KEIRINHOTEL」や、複数の名門生産者と共につくられたコンセプトルームが特徴的な「シャンパンホテル」など、一風変わったコンセプトを持つホテルを多数発表しているかと思います。リトリートブランドの印象が強い温故知新としては、新たな試みとなるのでしょうか?
ブランドとして、方向転換しているつもりはないですね。リトーリトブランドにせよ、今回の新しい開業するホテルにせよ、どちらも「ディスティネーションになる宿」という一貫したコンセプトを持っています。人々を惹きつける独創性を持つ宿をつくり、その結果として地域活性化や文化の多様化につながればという精神のもとに、ブランドを手掛けています。
──“ディスティネーションになる宿”という部分について、もう少し聞かせてください。どのようにして時代の空気をつかみ取り、人々に支持されるコンセプトを設定しているのでしょうか?
かなり直感的なところではあります。案件の選び方という点で言えば、そこに何か光るもの、この地域なら、この人となら、いいものができるだろうなと自分が納得できるものがあるかどうかが大切だと思います。
例えば、来年夏にオープン予定の「五島リトリートray(レイ)」で言えば、五島には潜伏キリシタンの歴史が色濃く残っていますよね。それをきっかけとして、イメージを膨らませ、コンセプトを具現化していきます。逆に言えば、温故知新に持ち込まれるさまざまな案件の中で、自分が魅力を見つけられなかったゆえに流れてしまった案件も多々あります。
もうひとつは変態性ですかね。言い換えると、クラフトマンシップ。建築家に競輪選手、料理人など、そこには職人性があります。複製されない強度のあるコンセプトは職人性から生まれ、それが人々を惹きつけるディスティネーションになると考えています。
──そんな松山さんがこれから手掛けてみたい宿のコンセプトはあるのでしょうか?
甲子園ホテルですかね。高校野球が間近でみれるホテル。絶対面白いと思います。
──甲子園ホテルいいですね。ぜひ泊まってみたいです。
ぜひ! 甲子園ホテルは具体的に何か話があるという訳ではないものの、温故知新では面白い案件が色々と動いているので、今後の動きにも注目していただけると嬉しいですね。